2024年は江戸の革袋物職人の親分、ガラス職人の親分が廃業した年でした。革袋物とは革製の鞄、ハンドバッグです。
匠東静代表の家系は、少なくとも曾祖母(ひい爺さん)の代、約150年前から江戸下町に住んでいた記録が残っていました。匠東静代表の子どもの頃、約40年位前ですが、江戸下町には小さい工房、工場(こうば)がたくさんありました。独特の匂い、音があり、威勢の良い、チャキチャキの職人、華やかな芸者も、たくさんいました。
約20年前、円高となり、安い中国製品が入る様になりました。日本人は職人が高い技術で作った製品の価値が分からなくなり、良いものが売れない時代に入りました。国内製造業の崩壊の始まりです。匠東静代表は地元の職人を支援し、職人ブランドの通販サポート等を行いました。インターネットの普及により、これはこれで上手くいきました。
約15年前から、消費税増税と共に、ガラス職人は釜、設備の維持コストを捻出できなくなり、廃業が続きました。東静グループも、東静容器工業、工場を閉鎖してメーカー撤退し、生産拠点を中国に移そうとしました。
約10年前から、設備を必要としない革袋物職人も遅れて廃業が続きました。職人の後継者もいましたが、生活が不安定であることからサラリーマンに転職していきました。高齢、病気等を契機に、職人の廃業が続きました。公務員になる職人の子息もいて、その苦しみが理解されるところです。
何とか、職人の情報技術が残せないかと、日本の他地域の職人への技術継承も試みましたが、日本全国、職人の困窮は同じでした。
2024年、親分クラスの職人が廃業が続きました。職人の親分の下に複数の職人がいて1つのコミュニティーを形成し、それぞれ役割分担があり、モノ作りが行われてきました。親分クラスの廃業により、職人コミュニティー、共同体が消え、職人が連鎖的に廃業します。
2024年末に革袋物の若い職人(50歳前後)と話しました。残された先人職人が作った製品を見ても、どうやって作ったか分からないとのことでした。職人はいなくなりましたが、高度な技術で作られた製品、再現できない製品が残されています。高度な技術で作られたこと、その価値を理解できる人がまだ残っています。
技術継承はもう無理です。しかし高度な技術で作られた製品を博物館等に残すならば、後世の人達でそれを研究する人が現れ、技術が再現される日が来るかもしれない、との期待ができました。しかし中々、価値が理解されず、引き受け先が決まらない問題もあります。
さて、このような日本の伝統技術のロス、日本崩壊の原因は何かと言えば、それは消費税にあります。
税というのは裕福な者から貧しい者に金を移し、貧富の差を縮めることに目的があります。しかし消費税は職人等、貧しい者から金を奪い、輸出大企業に金を移し、その逆をやりました。社会保障費等の出所は税ではなく、そもそも税は財源になっておらず、財源論は虚偽です。
また消費税の納税者は国民ではなく、国民の消費に対する課税ではありません。納税者は中小零細企業であり、実体は中小零細企業の売上に対する課税、さらには社員の給与や社会保障費に対する課税です。売上に対し、赤字もしくは利益の少ない中小零細企業は、借金をして納税することを強制され、これにより社員を雇用ではなくなり、倒産しています。
これは利益に応じて課税されるという垂直的公平の原則に反しています。また売上が同等で利益の異なる会社が同額の課税をされることは、同等の利益の者が同額の税を納めるという水平的公平の原則にも反しています。
つまり公平原則の適用の誤りが中小零細企業、日本を破壊しました。裁判所の判例で、早い段階で消費税の違法性は明確化されました。しかし政府と政治家の暴走が裁判所を無力化してきました。
日本の伝統技術、情報を育てて蓄積してきたのは中小零細企業です。その中小零細企業が破壊され、日本の国力が削がれ、情報技術の一部は海外に残りました。
しかし2025年になって、この統治システムの破壊がはじまりました。これが所謂、ディープステート(DS)であり、元々は反正統派ユダヤ人が作り失敗したシステムです。それを公務員、官僚らが自らの利益の為に悪用してきました。
新しい時代の夜明けに期待したいと思います。