東静創業者 高野良平氏が育てたガラス職人、フロスト職人、腐食職人が令和7年度末で廃業します。他のフロスト職人達もこれに続いて、廃業すると聞いています。
東静創業者初代 高野良平氏は、自社工場に職人達を呼び、機械設備を用意して仕事ができる環境を作り、仕事をとってきて職人に与え、職人達の会社で資金が必要となった時にはその工面まで行い、職人達の生活を守ったとのことでした。それで職人達は、高野良平氏が亡くなって30年経った後でも、足を向けて寝られないと言っていました。
その職人らが東静グループ企業の走りであり、東静容器袋井工場、グローバランス、ミリオンウェーブズ、匠東静の先輩でした。
しかしここのところ毎年、高野良平氏が世話した職人達の廃業が続いています。
中国帰化人(芹沢泉とその子息 植岡)が東静グループの2億円の債務引き受けを条件に東静容器(昭和37年設立)を休業させ、有力な共同事業社(グローバーランスら)を追い出しました。そして同名の「東静容器」を名乗り、東静容器(昭和37年設立)を装い、顧客や取引先を欺いて商売を行い、稼いだ金を別会社のイズミ(代表 芹沢泉)に移して廃業させ、中国帰化人の間で2億以上を山分けしました。中国帰化人はそれを契機に中国に帰国し、10年以上、中国にいます。
中国帰化人から東静容器(昭和37年設立)に支払われた金銭はなく、事業譲渡はなされませんでした。
東静容器(昭和37年設立)の休業後、役員らが独立し、顧客対応を引き継いでいました。
この中国人による東静の乗っ取りに激怒したのが、高野良平氏の息がかかった職人達でした。
東静グループ、匠東静のお客さん達が見学したフロスト職人が廃業します。見学された方々はご存知ですが、建物機械を修繕する費用が捻出できず、ボロボロでした。
フッ素酸、硫酸などの強酸を扱い、手や目にかかったならば即、病院行きでした。それでいつも厚手の服を来て、作業が行われています。
猛暑の夏でもエアコンはなく、熱中症になる寸前で作業が行われていました。寒い冬場は小さい灯油ストーブ1つでした。
薬品の価格が上がり、産業廃棄物の処分費用が上がり、燃料費が上がり、赤字で食べて行くのが困難となりました。
しかし年間30万本以上の仕事を振っている興亜硝子は、値上げを拒否し続け、相場の3分の1程度の価格で仕事をやらせていました。
フロスト職人達は生活に苦しみ、連名で値上げ要求しましたが、興亜硝子は中々、値上げを認めませんでした。
東静グループ、匠東静は興亜硝子に対し、直接、この下請けイジメ、搾取を批難しました。
興亜硝子の役員連中も、職人の工房に来て惨状を見ています。しかし何とも思わず、自分達だけ良い思いをしていました。
また職人の廃業が決まると、どこよりも早く、仕事を引き上げていました。
フロスト職人には、マンション建設による会社移転の必要性が生じた事情がありました。
しかし2000~3000万円で新しい機械を導入し、老朽化した機械を入れ替えれば事業継続は可能とのことでした。
しかし興亜硝子の価格では再三が合わず、また後継者もおらず、やめるとのことてした。
もしこの場に、東静創業者 高野良平氏がいたならば、金銭を工面して職人を助けたと思いました。
東静グループ、匠東静、仲間内で資金の工面に努めると伝えました。しかし職人は厳しい口調で、12月末でやめたい、とのことでした。
今後のフロスト瓶の供給について、
継続的に1000本以上ご発注頂いているお客さんについては、これまで通り、対応致します。
1000本以下の小ロットフロスト瓶のお客さんについては、これまでお伝えしてきました通り、需要に対し供給が追いつかないので、会員制とさせて頂きます。また製品も限定せざるをえない状況です。
東静グループの心あるお客さん達には、直接、惨状をご覧になられた方々がいますが、それ以外の方々にも知って頂けたら、と思います。
ガラス職人のみならず、皮革職人の間でも、下請け搾取、中国人問題等が深刻です。